伐りながら考える一日
こんばんは。(こんにちは?)
さて、ここ数日ほぼ連続で投稿しています。読者あんまいないけど、ブログ書くの楽しいな・・・
というわけで、最近の日記をご覧の方はわかるかもしれませんが、僕にとってはここ数日はたいへん思い悩む日々でありますが、今日その延長線上に月曜日(海の日だけど会社カレンダーでは普通に出勤日)がやってきて、また一週間が始まってしまいました。(暗いな・・・)
ま、基本根暗なのでご辛抱を。
今日は久しぶりの現場なのでまったく足取りがつかめず、先輩に作業内容を聞く。
「枯れ木の伐採」
を、申し付かる。
これは、葉っぱのついていない、枯れていると判断できる木を伐採し、ある程度の長さで切り刻んでまとめておく、という作業です。
枯れ木の伐採は、自然環境的に言えば、ほとんど意味がないと思われます。
枯れ木自体は生物多様性に寄与しているもの(らしい)ですし、枯れ木がそのままだからといって他の木に影響はさほどありません。日光を遮る範囲が大きくないからです。
それに、倒した木を細かく刻むと、大雨の時などに土砂が斜面の下方に流れやすくなり、山の栄養や山そのものが流出してしまうという欠点があります。
また、それをわざわざ伐るということは、そのためにまたチェーンソーの燃料やオイル(潤滑油)、人の時間・労力を使うわけですから、非常にもったいない話です。
それでいて、最終的にペイされるものって「山主さんの満足感」くらいなもんです。
「枯れ木がなくなって、サッパリしたね!良かった、ありがとう!」っていう、謎の感動、感謝。
いったい何をもって「良かった」と言っているのか。
とはいえこれも仕事。今日は、というかいつもそうなんですが、とりあえず我慢してやりました。
しかしやっぱり"thinker"な僕。どうしても「考える」という頭の行動を止められません。
そんなときにすることの一つとして、作業をしている自分自身を観察する、というのがあります。
それでも「なにはともあれ作業に集中する。頭じゃなくて身体を動かす」
と意気込んでやっていると、枯れ木が2本並んでいるところに出くわす。
「2本倒してから細かく刻もう」と思って1本目を伐ったはずが、次の瞬間、その1本目の木を刻み始めてしまっている自分がいました。2本目を倒してから2本まとめて刻もうと思っていたのに。。。
やっぱり、自分という人間は、目先のものに目が行ってしまいがちで、当初決めてあったものを忘れてしまう傾向がある。
それか、
身体を動かしながらだと、頭の集中が持続させられない。
そんな気がします。
やっぱり僕はこの職種には向いてない、他の職種なら存分に自分の実力を活かせる。
シンプルに、そう思います。
「林業というものが、自然保護だとか環境保護につながらない」という疑念が大きくなった今、あえて自分の不得意とする「現場作業」というものに自分をしばりつけなくてもいいのかな、ということです。
あるTEDの登壇者がこんなことを言っていました。
「他人の心を動かすのは、何を言うかではなく、何について説明するかでもなく、どういう信念でもって話をしているか、ということである」
「どういった信念の元なぜその商品を作ったのか、なぜ売りたいのか、それが消費者の心を最も揺さぶる」と。
今の自分に当てはめるなら、
「どういった信念の元なぜ林業という仕事をしているか」となる。
その、「信念」あるいは「信仰」「信じるもの」がいま、自分の心の中で大きく揺らいでいる。
だから、こんなにも悩んで、苦しいんだろう。
でも、ズーニーさんの言葉によれば、
「悩んでいるのは、進んでいる証拠」。
ということで、もう眠いので終わりますが、
悩み(進み)つづけたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。