大人たちの言うこと
こんにちは、また久しぶりの更新です。
昨日、会社の人たちと一緒に、野外ランチをするという機会がありました。
ついでに、会社で関係のある人、これからちょっとお世話になる人も呼んで、みんなで楽しくワイワイ。そんな会でした。
僕は最近の投稿にも何度も書いていますが、人生を悩んじゃっています。楽しくワイワイみんながやっている一方、なかなか全力で楽しめないと感じていたので、あまり喋ろうとはしませんでした。
多分、そんな雰囲気も出ていたと思います。
社長も多分、「ちょっと最近アイツ悩んじゃってるんすよ~」とか、言いふらしてたんでしょう。
すると、会社と関係のある人たちが矢継ぎ早に、
「お前な、人生っていうのは・・・」とか、「君はまだ若いからわからないかもしれないけど・・・」と言ってきました。
そしてそれに対する僕の率直な感想というのは、以下のとおりです。
ドビュッシーの曲に「子どもの領分」という曲がありますが、 ”大人の領分” のようなものを感じました。曲のイメージはそのままに、単にタイトルの「子ども」を「大人」にしただけという印象です。聴いたことがない人は今すぐYouTubeでチェック!!!
その人たちが僕に言ってくれたのは、”人生の大先輩” の言葉であり、それはそれで価値を持つもの。
そんなふうに捉えられる人もいるかもしれませんが、正直、僕にはほとんど何も響かなかったです。
その理由は大きく分けて3つあります。
①結局、その人が進んできた道の肯定でしかないこと。
②自分についての探求がないこと。
③「日本人としてのナンチャラ」という意味不明の文言が出たこと。
①結局、その人が進んできた道の肯定でしかないこと。
たぶん、多くの人がこういう話し方をするんだと思います。そして、それは決して悪いことではありません。
でも、今日のこの人たちの話の中には、「他の人生に対する考え方、その多様性を容認する」という意識が1ミリも感じられなかったんです。
「辛い状況でも頑張れば光が見えてくる」式の精神論もでました。そりゃ、一つの場所に長い間いれば、たいていの人はある程度その分野で成長できるでしょう。それはもうわかりきっていることです。そして、それが達成されたとき、得られるものがあるというのも、既知の情報です。
ぼくが思うのは、これからは、個々人に合った成長の方向やそのノウハウを、いかに自分が発見していくか、だと思うんです。
っていうかむしろ、無理に成長しなくてもいいのかも、とも最近考えています。個人には個人特有の能力が既に備わっている。ただ、その生かし方を知らないだけ。(これは僕自身についてもいえますけどね ^^;)
社会とか色々な制約の中で萎縮してしまっていて、それになかなか気づけない環境にいるんだと思います。そして、そういう状況に置かれていることにさえ気づけない人もたくさんいるのではないでしょうか。
しかも、ある一人の口から「とりあえず3年」論がでたときには、もう「ああ、この人にはこういう考え方しかできないんだな。」「先代からの古い考え方を自分なりに咀嚼できたことを自慢したいだけなんだな。」と感じてしまい、その時点でもう僕は雑な相づちしか打っていませんでした。
②自分についての探求がないこと。
ある人の話のなかで、こんなことを言っていました。
「自分がまさかこんな仕事をしてるなんて全く想像がつかなかったけど、それでもこうして林業の人に出会うことができたし、自分もこうして成功しているし・・・」
これはすばらしいことだと思います。自分がどの道で成功するかは分からないけど、長いこと(?)やっていたらいろいろな発展があった。人脈もできた。
そういう生き方、ありだと思います。この人はこの人で幸せなんだなと、感じることができました。
でも、僕はなんとなく、この話の中に、「自分を探求する」という視点が欠けているな、と思ったんです。
彼は「世の中に自分の好きなことを仕事としてやれているひとなんて、全体の1割しかいない。残りの9割は、与えられた環境で頑張るしかないんだ(このひとはその9割に含まれているという)。だから、大変なことがあっても頑張って・・・」と続けるわけです。
僕だったら、その9割に身を任せて一生を終えるより、死にものぐるいにでも1割のほうに入ろうとして行動していきたい。
っていうか、今の時代、9割もの人がやりたくないことをやっているんでしょうか?もしそれが本当だとしても、僕は残りの1割のほうにはいって、少しでもその割合を増やすほうに身を投じたいですけどね。そして、そういう生き方ができるんだと、より多くの人に広めていきたい!そのほうが、僕は満足したといえると思います。
③「日本人としてのナンチャラ」という意味不明の文言が出たこと。
よく覚えていません(笑)すみません。
でもこれを言った人はおそらくこういうことを言いたかったんだと思います。
「日本人としての魂を胸に、たとて大変でも、闊歩していけ」
非常に勇ましい言葉ですが、この人の言い方には、「国粋主義」のような考えがにじんでいるように感じられました。
別に日本人でなくても人生を闊歩している人は大勢います。その人は外国人との交流の機会があるという環境にいるのにもかかわらず、「日本人としての魂を・・・!」とか、言うのです。
それを聞いて、ますますその人の話がすごくどうでもよくなってきました。
やっぱり、新しい考えを豊富にもっている人のいるところへ行きたいな・・・
そう感じた一日でした。