秋の入口に立ち、将来を決めあぐねる自分について、気付いたこと。
単刀直入に申し上げます。
それはつまり、
今の自分は、決められる状態にないんじゃないかな。
ということに気付きました。
何を決められないかというと、タイトルにあるとおり、自分の将来のことについてです。
8月の末に会社をやめ、その時から周りのいろんなひとに「ドイツ留学するんだ!」って言いふらしていました。「じぶんはそのための準備をするために仕事をやめたんだ」って。
でも、会社を辞めた理由は他にもたくさんあったのに、ドイツに行くっていう項目だけがなぜか肥大化してしまっていました。もしかしたらみんなに「ドイツ」という単語を言ってチヤホヤされているうちに、得意になって、ほかの理由があったことを忘れてしまったのかもしれません。
そして、そのことが水面下でじわじわと広がり、自分を追いつめていたんだと思います。
自分はドイツに行くってみんなにもう言っている。でも度々聞かれる、「いつ行くの?」「ドイツのどこに行くの?」「何を勉強しに行くの?」という質問。
あたりまえですよね、こう聞くのも。
だから、「はやくどの大学に行くのか決めなきゃ。はやくどういうコースがあるのか調べなきゃ。いつ行くのか、どれくらいおかねが必要なのかとか、早くわからなきゃ。」
そうやって、自分で自分をせかしていました。
でも、それって本当に「自分」なのか?
っていうより、そんな急かされてる状態のまんま決めて、ちゃんとした決断、できるのか?って。
いや実際ドイツはほんとうに行きたいかもしれない。そんな気はします。そんな気はするんだけど、なんか実感が今一歩色濃く表れてこない。
自分自身に対して、「お前はこうだぞ!だからこっちの方向にエンジン動かさなきゃ!!」って、いまいちならない。
なんでだろう?
一年前の、生態学にはまってノートまでつけていたあの時期の、あの温度の情熱が、いま、そこまでのアツさでない。
1年前のことだって、過去は過去。
過去の自分の選択にとらわれて、今の自分の舵の方向を「ねえ、こっちでよかったんだよね??」って聞くのはどうかと思う。
だから、いまは、そういう時期。
そう、割り切ろう。
自分にスペース、与えてあげよう。
ちょっと、立ち止まってみよう、と。
道に迷って、どっちに進めばいいかわからなかったら、立ち止まる。立ち止まるためには、まず「その動いてる足を止める」という動作をしなければ。
ほかの人がいくら彼らなりの道のりを歩き続けていて自分が遅れをとっているように感じたって、適当な方向でもいいから取りあえずすすめばよいものでもなかろう。
実は最近の自分は、そうしちゃってたんです。
わからないけど、いやわからないからと理由をつけて、取りあえずこっちに進む、という選択をしていた。
「立ち止まる」という勇気がなかった。
「ホラ、オレだってちゃんと歩いてるよ!!進んでるよ!!」って、周りに見栄を張りたかったのかもしれない。
足元をみる、という動作を怠っていた。
世界に目を開けば、オレくらいの年齢でも何をしたらいいかわからずにぼーっと日々を送っている若者はたくさんいるはず。海外ではむしろ日本より多いだろう。
自分で自分に無駄なプレッシャーかけてたんだな。
そう思います。
これからの指針
なので、これからは、ゆっくりと自分を見つめなおす時間をとりたいと思います。フリーターだからこそできることだし。
「自分を再発見」って感じです^^
ということで、具体的な行動アイデアとしては、
- 人に会おう。間をあけすぎない程度にいろんな人と交流する機会をもち、刺激をもらう。
- 本読もう。哲学も、生態学も、社会評論も、小説も。いろんなジャンルの中に自分を放り投げる。
- ドイツ行くなら、セバ(友人のドイツ人)の言う通り、一度長期の滞在してみよう。
- ドイツ語を自分のペースで勉強しよう。
- そのまま意思が続くなら、ドイツの大学のコースを、ゆっくり、1つ1つみてみよう。
と思います。
こう考えるようになって、気持ちがすーっと、軽くなっているのを感じます。
ではまた!