A 気づき。
こんばんは。
やや久しぶりの更新です。
最近は、色々なことがありました。交流会のようなイベントに参加したり、友達とガチな悩みをラインで話したり、他の林業事業体の同期の人たちとの研修を通してたくさん話をしたり・・・
そうしていく中で気づいたことがいくつか。
まず、自分一人で思い悩むよりも、やはり誰かと話をするっていいなっていうこと。やっぱり人それぞれ考え方は違うし、色々な考えに触れることでかなりの刺激になる。自分の悩みをストレートに発信することによって、それにまた直球で返してくれる人がいたり、似たような悩みを抱えている人が共感してくれたりして、
「自分から投げればなにか返ってくる」
っていうのが、すげー実感できたんです。
また、これはかなりの大きな気づきなんですが、
今まで自分が思い悩んでいた、仕事や人生についてのイロイロ。。
自分が、親しい友人からもらったアドバイスは、自分にとっては内心、あまり導かれたくない方向だったり、逆に自分にとってすごく聞こえがよかったり、半々だったり。
本当に色んな意見をもらって、自分の考えにより多くの枝を伸ばすことができました。
でも、気づいたんです。
結局は、最後に決めるのは、やっぱり自分なんだと。
僕は、なにか正解のようなものを求めていました。
自分の性格、キャリア、能力、興味、立場、年齢、その他の諸条件から考えると、これが一番良い、というものを探していました。
また、そういう、なにか的確なアドバイスをしてくれる人を探していたんです。
本当はその答えは誰かに聞いてその誰かのせいにするのではなく、自分の責任で決めるべきなのに。
実際、そういう人は何人かいました。
でも、みんな同時にそれ以外の道の可能性を提示したり、「それが必ずしも良い、というわけではない」、「それで確実に成功するとは限らない」というような内容を必ず付け加えるのです。
みんな、断定は避けるのです。
そりゃそうだ。
誰も、他人の人生に責任は負いたくない。
だから、「この道が100%正しい道だ!!!」なんて、誰も言えない。
どんなに経験の豊富な50代60代の人だって、どんなに今先進的なことにチャレンジしている同年代の人だってそう。
林業の研修中、他の会社でこういってくれる人がいました。
「まわりがなんと言おうと、自分が信じる道に進んだほうがいい」
結論でました。これに尽きると思います。
「とりあえず3年」とはよく言ったものですが、3年経つ前に会社を辞めても良い。極端に言えば、1年も経たないまま辞めてもよい。
もちろん、色々な状況があると思います。ある状況下では、例えばその仕事が大好き、環境も良い、待遇はそこそこ、でも人間関係がちょっと・・・という状況なら、ぜったいに続けたほうがよい、と断定できる場合もあるでしょう。少し時間をかけて、そのちょっと揺らいだ人間関係さえ修復できれば、あるいはあまり個人的に受けとめないようにすれば、載りきれることもあるでしょうから。
でも、そういう「状況」って、本人の感じ方捉え方があったりするから、どんなに人に意見を請うても、結局は本人にしかわからないと思います。本人の捉え方次第だと思います。
だから、そういう決断は、自分にしか、決断できない。
いろんな人がいろんなアドバイスをしてくれて、色んな方向に自分の背中を押してくれているのなら、そのいくつかの押す力は、ぶつかり合って、自分の身体は結局もとの位置にもどってしまう。
だから、いろんな方向があるとわかれば、どの押す力に身をゆだねるのかを決めるのは、そして最後に自らの意思で身体を動かすのは、自分なんだと。
そのとき、いくつかの押す力には、抗って進む必要がある。
でも、自分の軸、あるいは「芯」がしっかりしていれば、大丈夫だと思う。
だから、大切なのは、自分が何を信じるか、信じたいか、何が好きか、というところから少しずつ固まる、「芯」。
「人は、理由を自分で作ることができる。」あるTEDトークからの言葉です。
その理由をもって進めるだけの理由を自信を持って作れるか、そしてそれを人に言えるかどうか、というところが大事だといっていました。
難しい決断のときは、科学で使うような数量的比較は無理。だからこそ難しい。
選択肢のメリット・デメリットを比較しても、結局、一方ではどちらかが悪く、他方ではどちらかが悪く、どっちとも言えない・・・
でも、それが難しい選択だということ。
そしてそういう難しい選択のときは、「自分の心に聞くのが一番。」と。
自分の心の声に従わず、その場の雰囲気やシチュエーションに流されていく人は、放浪者となる。
「この分野なら仕事につける可能性が高いから」
、という理由で、自分の好きだった哲学を諦め、弁護士になったそのTEDの登壇者は、のちに、「やっぱりなにか違う」と感じて、弁護士の仕事をやめることになります。
彼女もその時の自分を、放浪者だと定義しています。
それで、弁護士を辞めた後、興味を忘れられなかった哲学の道へ進むことになるのです。
登壇者としてステージに上がったときの彼女の肩書きは、「哲学者」。
ちゃんと、自分の心に素直になった結果、その分野でちゃんと生きていけているんですね。
僕も、自分の心の声をきちんと聞かなくては。
どういうことをやりたいのか、なんて聞かれたら、色々ありすぎて困っちゃうけど、
まずはまた一つずつやってみて、長く続けられそうな道を失敗しながらでもその中から選んで、歩みを進めたい。
そう、思います。
いや、そうします。
この気づきを与えてくれた数人の人やあらゆる環境に、感謝です。
では!